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2009年5月17日日曜日

「ころすけの橋」:手塚治虫が追いつけなかったもの

NHKBS2で、手塚治虫の「ころすけの橋」という短編漫画を見た。
ゲスト出演していた評論家の宮崎哲弥によると、作品に描かれているのは、人間と自然の単純な調和ではなく、二者の対立関係だという。もちろんそれは「あらすじ」の話である。
ある日、ニホンカモシカのリーダー「キヨモリ」が群れをしたがえて吊り橋を渡っていると、一匹の子ジカが板の間に足を挟まれて動けなくなる。群れは去り、子ジカは橋の上に取り残される。それを主人公の少年が見つけ、「ころすけ」と名付けて世話をしてやる。「キヨモリ」も、つかず離れず、「ころすけ」と少年を見つめ、守ってくれている。そのまま冬を越し、「ころすけ」が大人になりかけていた頃、シカの食害に憤った村民たちに、群れは殺される。キヨモリもころすけも。少年は号泣する。
おそらく宮崎氏は物語をこのように要約し、理解したのだろう。
しかし、私がおもしろかったのは、この短編漫画が、一匹の昆虫の話から始まっていることだった。そもそも手塚治虫なんだから、虫に注目しない手はない。「あらすじ」にたどり着く前の前置きに注目したい。
「ハンミョウって虫を知ってっかい?」と少年はいう。
山道で突然飛んできて、道に降り立ち、そこまで人間が歩いていくと、また先に飛んでいってこっちを見ている、という憎たらしい虫なのだという。
「キヨモリがそのハンミョウにそっくりだった」。少年がそう言うのは、キヨモリも、少年が近づこうとすると、常にちょっと先を逃げ続けるからだ。そんなキヨモリにイライラしてしまうのは、少年が別の悩みを抱えているからでもあった。
少年の母が家出をしたのである。父親の職業は「炭焼き」。最近の電化製品に押されて、炭がちっとも売れない。それがもとで両親はけんかし、母が出て行ったのだ。
一見、無駄にも思えるこの導入部分は、重要である。なぜなら、物語の最後で、きちんと母親が再登場するからだ。キヨモリやころすけが死んだ後、なぜか母親が家に戻ってくることを少年は知る。つまり、この短編物語は、母の不在のうちに起きた出来事なのである。
「お母さんがいない!」という叫びが、この物語の根底にある。これは「置き去り」の物語なのである。
母に置き去りにされた自分のように、群れに取り残されたころすけ。そこで、少年はころすけの「母親」になる。すると、これまでずっと少年を「置き去り」にしていた「キヨモリ」までが近づいてくる。
いくら追いかけても手の届かない対象が、「ころすけの橋」の上という特殊な空間でなら、追いつけそうな気がする。
しかし、少年は現実に引き戻される。シカのせいで村の経済が悪くなる。そこでシカたちは殺される。当然、村の経済はよくなったはずだ。すると、母親が戻ってくる。炭焼きという商売がうまくいかなくなって家族を置き去りにした母親が、景気がよくなると戻ってくる。少年の母親を呼び戻したのは、経済の回復だったのだ。
しかし、「お母さんがいない」ことが解決すると、別のものがいなくなる。
経済の回復は、シカが死ななければもたらされることはなかった。だから少年にとって、母の帰還はハッピーエンドではない。お母さんが戻ってきたのに、幸せではない。あらたに「足りないもの」ができしまった。もちろん、死んでしまったキヨモリところすけである。死んだシカのせいで、少年は幸せに決して手が届くことがない。
つまり、彼はこれから先、幸せに「追いつく」ことはできない。
あの「キヨモリ」の幽霊には決して追いつけないのである。
物語の結末、母が戻ってきた後もなお、花束をもって「ころすけの橋」を訪れた少年は、花束を自ら蹴散らしながら、「バッキャロ~!!」と叫ぶ。
するとそこに、ころすけそっくりの子ジカが現れる。少年は「ころすけ」と呼ぶ。しかし、その子ジカは、少年に背中を向けて走り去っていく。少年を「置き去り」にしていく。そして、少年の一言で幕は閉じる。
「また、あいつに会いたいなぁ」
しかし、それは無理なのである。少年には「決して手の届かないもの」ができてしまった。この漫画が子ジカの成長を通して描いていたのは、少年が大人になる姿だったわけだ。経済がよくなっても、母親が戻ってきても、決して埋められない心の空白を持って、少年は生きていく。「大人になったらわかる」と父親は言う。しかし、もう少年は大人なのである。手塚治虫にとって、大人かどうかは、どんな努力をしても決して追いつくことができない何かがあることを自覚しているかどうか、なのである。とても陰鬱な大人観である。しかし、妙に納得のいく大人の基準である。
では、手塚治虫にとって、それは何だったのだろう。彼は、決して追いつけない何を追いかけていたのだろうか。
この物語は少年の家業である炭焼きが、時代に「置き去り」にされ、時代に「追いつけ」なくなったところから始まっていた。そして漫画の冒頭には、決して追いつくことのできない「虫」(ハンミョウ)が描かれていた。だとすれば、治「虫」が追いかけていたのは、一つには、自分自身の昔の姿だったのではないだろうか。
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追記2013年7月28日
漫画冒頭でハンミョウが描かれるその前に、「テッペンカケタカ」という鳥の鳴き声が森に響き渡っている。その鳴き声はホトトギスのものである。
これは最近になって理系の学生に教えてもらったことだが、ホトトギスは托卵(たくらん)をする鳥なのだという。つまり、ホトトギスとは、別の鳥の巣に自分の卵を産み、子育てを他人任せにする鳥なのだ。
だとすれば、「お母さんがいない」主人公やシカを描いたこの物語には、手塚がアトムで描いているような「代理親の主題」もあったわけだ。