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2013年8月19日月曜日

あまちゃん:代役の物語

実家の寝室が暑くて眠れず、深夜諦めてテレビをつけたら『朝まであまテレビ』と称して、NHK朝ドラ『あまちゃん』の総集編をやっていた。おかげで、それまで断片的しにか知らなかったエピソードがつながった。それで今日(8月19日)の回を見て、このドラマは徹底的に代役の物語なのだな、と思った。

今日の回では、主人公アキの母(小泉今日子)の母親が倒れ、母は岩手の実家へ戻り、アキは東京で映画のオーディション会場へと向かう。そこで彼女は、一つの台詞を言うよう求められる。それは、「かあちゃん、親孝行できなくてごめんなさい」というものだった。一方、岩手の病院では、小泉今日子が母親に対して、複雑な思いを抱えたまま、母の手術が終わるのを待っている。おそらく、彼女には母親に言うべきことがある。でも、それを言うことが出来ない。ところが、東京では、自分の番が回ってきたアキが、「かあちゃん、親孝行できなくてごめんなさい」と叫ぶ。それはもう、オーディションのための台詞というよりは、小泉今日子の言うべき台詞をアキが代役で叫んでいるようにしか聞こえない。

だとすれば、このドラマの結末をこの時点で予想することができるように思う。

主人公がオーディションを受けている映画は、『潮騒のメモリー』。かつて母である小泉今日子が歌手鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の代役として歌った同名の歌にちなんだ映画だった。若かった母は、薬師丸ひろ子の代わりに歌声だけ担当、決してアイドルとして人前に出ることは出来なかった。だから今度は、娘であるアキが、母自身の代役人生を映画の中で繰り返しつつ、さらにアキ自身が代役として母の夢を果たすことになる。つまり、映画の中では役の上で「代役」を与えられるアキが、なんらかの理由で主演女優が降板することによって自ら主役となる。そして、母がかなえられなかった表舞台に立つ夢(薬師丸ひろ子の代役として「潮騒のメモリー」を歌った母の夢)を『潮騒のメモリー』の主役として実現するのだろう。

しかし、おそらくそのとき母小泉今日子はもうこの世にはいない。(と同時に、アキ自身が赤ん坊を宿して「母」になるのかもしれない。)

このような代役人生は、もちろん、アキの母やアキに限ったことではないのだろうが。
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追記、さっき(9月16日夜)映画を見終えたら「あまちゃん」やってました。あーっ、みんな生きてる!めでたし。でも、いつからナレーションがアキの母(小泉)になったんだろう?
ところで見た映画というのは『ネクスト』で、予知能力のある主人公が、テロリストの計画を阻止して、恋人の命も救う、というお話。でも、実際に描かれたのは、その失敗編で、テロリストが核爆弾をロサンゼルスで爆発させてしまう。成功編はやらない。
結局これは、将棋やチェス(私はどちらもやらないが)でいえば、「待った」がOKな棋士の話。失敗したら、いくらでも遡ってやり直せるので、絶対負けない。実際、主人公が未来を読む場面では、彼が次々に分裂して無数の分身が歩き出していて、その姿は将棋の先読みが次々に枝分かれしてしていくことを表現しているようだった。で、待ったが許されている棋士が勝つ様子を見ても面白くないわけだから、この映画が描けたのは、派手に負けそうになる読み筋なのでありました。でも、待ったが許されたら将棋は面白くない、という批判がましいことを言っても仕方がない。将棋は何度でも別の対局があって、そういう意味では、現実に何度でもゼロからやり直せるわけだが、ジンセイはそうはいかないので。だから、ジンセイに「待った」がきいたらという願いは、たわ言ではない。この主人公が先読みできるのも、たった2分だけだ。でも、この脚本家は、2分という一見短い時間が、人生を悲劇にするには十分なことを知り尽くしているに違いない。(一寸先はホントに闇ですから。)だから、2分逆戻しできる主人公を描いてみたくなったんだろう。そこがとてもリアルな感じがして、物語の表面的な荒唐無稽さの裏に、脚本家の心の闇が垣間見られるような作品でありました。