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2009年6月21日日曜日

『セイブ・ザ・ラストダンス』:見られなくては意味がない

一応は、女子高生バレリーナの挫折と成功を描いた映画だろう。
彼女はジュリアードでダンスを専攻するため、実技の入試を受ける。しかし、母親がそのステージを観に来ていないことに動揺した彼女はダンスを失敗、しかも、会場へと急いでいた母は事故を起こして死んでしまう。彼女は別れた父に引き取られる。父の街はシカゴ。新しい学校は黒人の生徒ばかり。そこで彼女は恋をし、彼からヒップホップをたたき込まれ、もう一度ジュリアードのオーディションを受ける。舞台袖からは彼が見守ってくれている。さて結果はいかに……という筋立て。

これを、人生はやり直しがきくか、という物語としてみることもできるだろう。だいたい、最後のオーディションの場面は、あからさまに最初のオーディションの「やり直し」なのである。審査員まで同じだ。二度目のオーディションでも、舞台で一度演技を始めた主人公が、一度とちってもう一回やり直す、という念の入れようだ。

この大きな筋を中心にして、他にもさまざまな「やり直し」が描かれる。たとえば、母の死後、主人公を引き取った父親からみれば、これは親子関係のやり直しの物語である。主人公の彼は、かつては不良仲間と行動を共にし警察に追われることもあったが、物語の最後には仲間からの誘いをはねつける。その裏側では、やり直しのチャンスをとらえ損なう黒人青年たちの姿も描かれる。

主人公は、最初のオーディションで「母の不在」に動揺した。二回目は、「彼の不在」のせいで失敗しかける。しかし、そこに彼が駆けつける。こうして「やり直し」は成功する。

ここに答えがあるようだ。成功の秘密が。それは「人に観てもらうこと」である。

映画のはじまりから私が気になっていたのは、主人公が「人に見られること」に必要以上に敏感である点だった。

そもそも、オーディションで自分が踊る姿を母親が「見てくれるかどうか」が大きな問題だった。シカゴの黒人が圧倒的多数を占める高校では、白人の彼女はじろじろと見られる存在になる。その地区の病院の待合室でも、彼女は周囲から奇異の目で見られる。子供たちが彼女を無遠慮に見つめるのである。黒人の彼氏と地下鉄に乗っていたときも、中年白人女性が、いちゃつく二人の姿を絶えず盗み見している。後に二人の仲は危機を迎えるが、そのとき彼女が口にするのは「私たちが一緒にいるのを見て誰も喜んでいない」という言葉だ。自分たちのような黒人と白人のカップルを見て周りの人々が喜んでくれない。そこを気にすることで、彼女は彼との関係をこじらせていく。

しかし、「だから人がどう思うかなんて気にするな」という話ではない。
この映画は「我が道を行け」と言っているのではない。むしろ逆だ。
人に見られてこそ幸福がある、ということのようだ。

地下鉄の場面を思い出したい。あのとき、おばさんにじろじろと見られることを、彼女は楽しんでいたのだった。あるいは映画の冒頭では、オーディションで踊る姿を、母に見てもらいたくて仕方がなかったのだった。最後のオーディションで「やり直し」が成功するのも、結局は、駆けつけた彼が彼女の踊りを「見ていてくれるから」だった。

今思い出したが、そういえば、彼女が新しい高校で最初に受けた授業の一コマが案外重要なのではないだろうか。後に彼女の彼氏になる男子生徒が、彼女に向かって「リチャード・ライトとかジェイムズ・ボールドウィンとか読んだことがないだろう」と言ったのだ。二人とも偉大な黒人作家だ。そのとき、彼女はその問いに対して絶句した。どうやら彼女は黒人作家のことを知ってはいても、彼らの作品を「見てはいなかった」ようなのである。

この後彼女は、黒人の彼の姿を「見る」ようになる。込んだクラブで彼が踊る姿をちょっとすねながら彼女が離れて見つめている場面も印象的だ。ちょっと高くなったところにいる彼女が、群衆の中の彼を見つめ、彼がそれにハッと気づいて彼女の元にやってくる。まなざしが交換されるこの場面こそが、二人の仲を決定的に深めた瞬間だと思う。

ここに、現代のアメリカ社会において「相手を見る」ことの現実的な意味があるようだ。それぞれの人種が我が道を行っても、その果てには幸福はないということである。だから、オーディションの審査員たちは、彼女の踊りの中に白人のバレエと黒人のヒップホップのハーモニーを見て、この映画は終わる。アメリカが「やり直し」て目指さねばならない姿がそこにある。

(蛇足だが、音楽的には、白人歌手のヒット曲を黒人歌手がカバーしているヴァージョンが使われていて、印象的だった。彼女の決めぜりふ--"Nobody wants to see us together."--もAkonの歌を思い出させるし。ただ、Akonの歌詞は「みんな俺たちのこと気に入らないみたいだけど、そんなの関係ねぇ」って続くから、二人がみんなに認められていくこの映画の筋とは違うのだが。Akonはこの映画を見間違えてしまったのだろうか?笑 ちなみに、こんな歌です。