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2019年7月6日土曜日

「猟奇的な彼女」(엽기적인 그녀):キョヌは最高の男

映画のラスト近くで、「彼女」はUFOを目撃する。UFOは未来人のタイムマシンだと信じている彼女は、そのとき未来人の存在をも確信したのだろう。さらに、未来人が自分のことを見ていることも。それを暗示するかのように、空を見上げる彼女の顔を、カメラは上方から、いわばUFOの視点から映し出す。つまり、未来人が彼女のことを見ている。これまで、それは彼女の願望に満ちた妄想に過ぎなかった。ところが、UFOの実在を確信したこの瞬間に、彼女には、未来人が存在していて、自分のことを見ていることが分かったのだ。

これはとても劇的なことだった。なぜなら、彼女にとって未来人とは、死んでしまった高校時代の彼にほかならないからだ。死んだ彼は、決して消えていなくなったのではない、未来人として彼女を見守っていて、いつかUFOに乗って、自分を救うために戻って来てくれる。あの場面は、彼女にとって、そんな救済の希望が確信へと変わった瞬間だったのである。

その直後、パッへルベルのカノンが流れてくる。これがこの映画の全ての答えになっている。未来人(死んでしまった彼)が、どのように再び地上に現れ、彼女を救うかの答えに。

そしてこれが、なかなか残酷な話なのである。まだ生きている一人の男、キョヌにとっては。

 一年前、恋人に死なれてしまった彼女は、その恋人そっくりの青年キョヌに出会う。そこから二人の笑える関係が始まる。その関係を私が「残酷」というのは、ひんぱんに「彼女」がキョヌを殴るという肉体的暴力を加えるからではない。彼女が自分のつらすぎる人生をキョヌにも強制的に味合わせたり、実現不可能な自分の夢を、ある意味でキョヌを犠牲にして、実現してしまうからだ。ある意味とは、彼女がキョヌからキョヌ自身の人生を奪い、死んだ彼の代役として生きさせる、という意味である。それは一人の人間に、普通に生きることを断念させるという点で、やはり「猟奇的」と言っていいほどの残酷さではないだろうか。しかし、もちろんこの映画が感動的なのは、キョヌがそんな残酷な運命を、ただ彼女を救うために、自ら進んで受け入れるからだ。

この映画の中で、彼女には実現不可能な夢が三つあった。1)映画の脚本家になること。2)死んだ彼のことを忘れること。3)タイムマシンで時間旅行すること。これら全てを、キョヌは彼女のために実現したり、実現しようとしたりする。

一つ目の脚本家になるという夢は、彼女独力では実現不可能なものとして描かれている。彼女の書いた時代劇を、キョヌは彼女の「代理」として映画会社に届けるが、ことごとく無視される。しかし後に、彼女の夢をキョヌが実現する。キョヌは彼女との思い出をネットに書き連ね、それが人気となってついには映画化されるからで、キョヌも台詞の中ではっきり自分が彼女の夢を(代理的に)実現したと言っている。


 これは、まったく「残酷」ではなさそうだ。むしろキョヌの成功物語だ。しかし、キョヌが作った映画とは、私たちが見ている『猟奇的な彼女』であることを考えると、それほど幸せなことでもなさそうな気がしてくる。つまり、その内容とは、彼女によって自分がいかに「死んだ彼の代役」にされたか、という一つの残酷物語でもあるからだ。


 そもそも彼女が時代劇にこだわったのは、それがタイムトラベルに似たものだからだろう。実際、彼女がUFOは未来人のタイムマシンだとキョヌに話したのは、自分が書いた映画の梗概(シノプシス)をキョヌに手渡した時だった。

なぜタイムマシンに彼女がこだわるのかと言えば、一見、過去に旅することができれば、死んだ恋人に再び会えるから、のような気もする。しかし、この映画は、その方向には向かわない。恋人に死なれてしまったという彼女の問題は、過去ではなく、未来に旅することで解決されるのだ。


この映画は、彼女が未来人を探す物語なのである。ここにこの映画の新しさがあり、残酷さがある、と思う。なぜならその未来人の役を担うのはキョヌなのだから。彼女は「暴力的」にキョヌを未来人に仕立て上げるのである。それもただの未来人ではない。死んだ彼が、もしも空白の時を超えて現在に現れたら、すなわち彼女と死んだ彼がともに過ごした時間から見れば「未来」に現れたら、という夢を実現させるという意味の未来人なのだ。


だからこそ、キョヌ自身がこの映画で描いている彼女との「猟奇的」な思い出とは、実は、死んだ彼と彼女の思い出を、自分が彼女のために再現してあげたものにすぎないのである。高校の制服を着てクラブで踊ることも、100日目の記念に彼女の教室にバラを一輪届けることも。

大学の大教室にキョヌがバラを持って現れるとき、彼女はピアノでカノンを弾いている。キョヌの好きだと言っていた曲だ。だから、映画のラストでカノンが流れるとき、彼女の頭の中にはキョヌの姿が浮かんでいるようにも思われる。しかし、カノンを弾く彼女にキョヌがバラを渡したとき、彼女はその瞬間を生きていただけでなく、同時に、彼が高校の教室にバラを持ってきてくれたという思い出(過去)をも生きていたのである。そして、彼女が執着するそんな過去は、むしろ彼女の「現在」なのであって、そこから大学の教室を見れば、それが「未来」にも見えるはずだ。だから潜在的に彼女の目には、キョヌは常に「未来人」として映っていたに違いない。

 ラストシーンで、二人が奇跡的に再会するとき、再びカノンが流れ出す。その時はっきり、彼女は「不思議だけど、未来人に会った気がする。あなたの未来に」と言っている。数年ぶりに現れたキョヌを「未来人」として彼女が見るのは、単に最後に会った時と比べて数年分「老けた」(成長した)はずのキョヌが未来の人のように見えた、という意味だけではない。わざわざ「あなたの未来」と言うのは、この結末が一つのタイムトラベルの実現であること、さらに彼女が(キョヌではなく)「あなた」、すなわち死んだ彼がそうなるはずだった未来の姿に会っている、ということを暗示している。


 こうして、「タイムマシンで時間旅行をすること」という彼女の夢はキョヌのおかげで実現した。過去にはさかのぼれないが(できるのは高校の制服を着てみることぐらい)、未来になら生きている限り誰でも到達することができる。そんな自然な時間の流れの中で、「現在」が「未来」であるかのように信じられる状況が、キョヌのおかげで可能になった。

 だが、このエンディングは、一つの夢の実現をファンタジーのような奇跡として描きつつ、もう一つの夢が破れ去ったことを示している点で、実にリアルでシリアスだ。つまり、時間旅行は実現したが、「死んだ彼のことを忘れる」という願いは決してかなわなかったわけだから。


 彼女は一度、その願望の実現に関してウソをついていた。失恋の腹いせに脱走した兵士に対して、心の傷なんてすぐに癒える、と慰めるが、それは現実に反した彼女の願望でもあったはずだ。同じように、エンディングで、死んだ彼の母親と話しているときにも、彼のことは忘れつつあると言っているが、これも兵士についたのと似たウソだろう。何年たっても忘れられないことは、彼女は再会したキョヌを「あなたの未来」と形容していることから明らかだ。

 時間旅行というファンタジーが実現し、同時に、死んだ彼を忘れるという夢はやぶれる。これは単なるビタースイートなエンディングなのではない。むしろ、論理的で当然のことだ。もしも死んだ彼のことを忘れられるのなら、そもそも時間旅行にすがる必要もなくなるからだ。逆に言えば、ラストが時間旅行の実現として描かれていること自体が、彼女が決して死んだ彼のことを忘れないでいることを示しているのである。


 こんな彼女と生きていくキョヌは、たびたび殴られる以上に辛くて残酷な人生を送っていくのかもしれない。彼女の心は死んだ彼のものでありつづける。この意味で、キョヌにとって彼女は失われた存在に留まり続けるだろう。だからラストシーンで二人が手を握り合っているとき、私には、「彼を失った彼女」と、「彼女を失っている彼(キョヌ)」が手を握り合っているように見えてしまって、しかたがないのである。
 むろんこれはキョヌが示した究極の愛だ。なぜなら、キョヌが彼女の不幸な運命を、彼女と同じように引き受けた、ということだからだ。いわばキョヌは、生きたまま彼女の精神的墓地に一緒に葬られる覚悟を決めたのだろう。これからキョヌは、痛みを伴う彼女のハイヒールを、自ら履いて歩いていくのだろう。「人の靴を履くこと」が持つ英語の慣用的な意味の通りに。だとすれば、彼女とキョヌがなぜか一度、関係を中断し、数年間の空白を作ったのも、彼女と死んだ彼との関係の断絶(空白が一生続く)を、キョヌが追体験するためだったようにもみえる。


 彼を失った彼女の運命を、彼女の「靴」をはいて、彼女を永久に失った男として、彼女とともに生きていく(死んでいく)物語を、キョヌは綴った。それが、恋人を救いに来る「未来人」としてのキョヌの使命だった。映画を作るという彼女の夢を、自ら『猟奇的な彼女』として実現することを通して、キョヌはもう一つの実現不可能な彼女の夢を、自らの人生を差し出すことで、かなえてあげるのである。
 
 そんなキョヌを最後に見上げるときの彼女の表情は、喜んでいるというより、最高の愛を体現したなにものかが目の前に現れた奇跡に感動しているように見える。だからこそ彼女の目から涙がこぼれ落ちるよりも早く、こちらが泣けてくるのだろう。
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追記(7/12):キョヌの言っていたジョージ・ウィンストンのカノンを調べてみたら、1982年のクリスマス頃発売された『December』というアルバムの曲だった。なんだ、だから気になったのか。これはこれでもう一つのあれだな。