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2017年1月16日月曜日

ローマの休日:ゆっくり歩く男

大学生の頃にこの映画を見て、新聞記者になったらプリンセスと巡り会えるという幻想を抱いてしまい、数年後にそれがやはり幻想であったことを身をもって知った苦い思い出があります。

さて、やはりこの映画は最後の場面が印象的です。プリンセスとの会見を終えて記者たちが去った後、一人グレゴリー・ペック演じる新聞記者が、両手をポケットに突っ込んでゆっくり歩いている。出口で立ち止まり、ついさっきまでプリンセスが立っていた宮殿の中を振り返る。しかし、もう誰もいない。また前を向いて歩き出す。

プリンセスと過ごした一日だけがこの記者にとっての思い出ならば、それは別に、相手こそ本当のプリンセスではないものの多くの人が経験をする楽しい思い出と、本質的にはあまり違わないものだったでしょう。しかし、この記者の経験が特別な重みをもって私に迫ってくるのは、翌日に経験する彼の喪失感が最後のシーンで描かれているからだと思います。最後の会見を終えてこの記者が歩き出したとき、彼には二度と彼女と手をつないで歩けないことが、だんだん実感されてきたのではないでしょうか。出口に向かって一歩一歩進むうちに、はっきりはっきり分かってくる。そこにもういるはずはないとは分かっている、それでもひょっとしたらと思って、振り返ってみる。でも、やはり彼女はいない。それは単純な未練とかではなくて(未練というのは、やり直せる可能性を少しでも信じているということでしょうから)、もっと決定的な気持ち、たぶん葬式の帰り道のような気持ちだったんじゃないのかな、と想像してしまいました。そんな暗い見方をしてしまうのは、暗い作風で知られるエドガー・ポーの通った大学に、私が今訪れているからでしょうか。