北海道に来てはや六年目、小樽を舞台にした映画『Love Letter』を遅ればせながら観た。(『ラストレター』はこちら)
だが、渡辺には分かったのかも知れない。
なぜなら「青い珊瑚礁」の話を聞いた直後、渡辺は「実は彼からプロポーズされていない」と登山仲間たちに打ち明けたからだ。内気な彼がなかなか切り出さないので、渡辺は自分から結婚してくださいと口にし、彼が頷いたのだという。
なぜ渡辺は、そのことを思い出したのか。それは「青い珊瑚礁」のせいではなかったのだろうか。
彼は死ぬ前にその曲を歌った。それは、松田聖子が流行っていた自分の中学生時代を彼が思い出していたからだろう。いや正確には、中学生の頃に自分が片思いしていた女の子、藤井樹のことを思い出しながら彼は死んだのだろう。転校して離ればなれになったあと、自分の恋も南の風に乗って届けと願った相手が、彼の最後の思いとなった。
ということは、彼の本当の気持ちは自分にではなく、ずっと中学時代の同級生に向いていたことを渡辺は直感したはずだ。だから彼は自分にプロポーズする決心がつかなかったのだ、と渡辺は心のどこかで気付いたのだろう。
こうして、渡辺は新しい恋に進んでいくことが可能になる。だから、渡辺と彼の恋物語は、それほど面白いものではない。死んだ彼はあまり自分のことを好きではなかったようだから、もう知らなーい、という割り切りが可能なので。
興味深いのは、彼に惚れられていた藤井樹の物語だ。映画の最後で、彼女は図書係の中学生たちから一冊の本を受け取る。そこに挟まれていたのは、中学時代の彼が図書カードの裏に描いた彼女のポートレイトだった。それはいわば、彼からの実に控えめな「告白」だった。彼女には中学時代にそれに気付くチャンスがあった。その本は元々、彼が彼女に手渡して、図書室に返してくれるよう頼んだものだったからだ。しかしその本に隠されていた「ラブレター」を彼女が知ることになったのは、もはや「青い珊瑚礁」がナツメロになりかけている頃だった。
こうして死者からの「ラブレター」を受け取ってしまった彼女は、これからどうすればいいのだろう? 失われた時間を、どうやって取り戻せばいいのだろう? そう私たちが問うよう、彼女の受け取ったプルーストの本のタイトル『失われた時を求めて』も誘っている。
この映画なりの答えは、彼女の名前にあるのかもしれない。映画のラストでやっと、彼の名前が彼女と同じ「藤井樹」であるという一見無理矢理の設定に、多少納得できるような気がする。これから彼女は、(彼が過去において経験したように)吹雪の中で死にそうになるだけでなく、(彼の未来がそうなるはずであった)ガラス職人の道を歩んでいくのかも知れない。なにしろ彼女は、ガラスの町小樽に住んでいるのだから。
中学の彼女に似ているから自分が選ばれたと気付いて不満に思う渡辺は、いわば「代役」になることを嫌った。一方、女藤井樹は、男藤井樹の代役、あるいは「双子」の片割れとして生きていくことを(そうとは意識していないだろうが)引き受ける。こうして、一人二役を演じた中山美穂を起点に、「代役」であることの表と裏が巧みに描かれていたように私には見えた。
ところで、偶然にしては出来すぎていることに、私は母校の作文コンテストの審査員として、来週ほぼ三十年ぶりに高校の図書室に行って、作業をすることになっています。不思議な縁です。