題名にある「春」とは、主人公の名前だ。もちろん春とは冬のあとに命が芽吹く季節なのだから、この映画自体もまた一つの「誕生」の物語になっている。
あらすじ自体は、誕生とはほど遠い。春の祖父が、自分の面倒を見てくれる親戚や友人を探して、春と共に北海道増毛の故郷から東北へ東京へと旅をする。兄弟友人といっても、漁師として人付き合いもせずに長年暮らしていた祖父なので、十数年ぶりに会う人たちばかり。兄も、姉も、旧友も、弟も、それぞれ事情があって、祖父を引き受ける余裕などない。露骨に邪険にされたりする。しかし、それもこれまでの自分が犯してきた不義理の報いだ。春はそんな祖父が繰り広げる様々な再会の模様を目の当たりにして、ますます祖父と共に暮らしていく決意を固めていく。だが、増毛へと戻る汽車の中で、祖父は眠るように事切れてしまう。
だから、元々は祖父のこれからの生活を模索するために始まった旅ではあったけれど、結末の祖父の死から振り返ってみれば、始まりというより最後の挨拶をする旅になったのだった。そして春にしてみれば、これまで会ったことのなかった親戚に紹介してもらう旅にもなった。
春と祖父が最後に訪ねたのは、春の父親の牧場だった。父と母は離婚していたので、春にとってこれも十何年ぶりの再会だった。その帰り、祖父と春は一軒のそば屋に寄る。ともに蕎麦をすすりながら、祖父は春が生まれる前の父と母の話をしてやる。牧場を経営する父の両親は、貧乏な漁師の娘である母を気に入らない。祖父も牧場へ挨拶に行ったが、結婚に反対され、その帰りに祖父と母が寄ったのがそのそば屋だった。そのとき母は身重だった。春を身ごもっていたのだった。母の涙が蕎麦に落ちていた様子を祖父はまだ覚えている。
そんな話を春は聞くことが出来た。訳あって離婚はしたものの、自分が生まれる前の両親がどれほど愛し合っていたかを春は知る。また、離婚後に母が父に対して感じた強い罪悪感は、強い愛情の裏返しでもあったろうし、父は父で母の面影をもとめ続けていたようだ。牧場で初めて会った父の再婚相手は、なんと母にそっくりだったのだから。
つまりは、祖父にしてみれば、春の父の再婚相手は、今は亡き自分の娘にうりふたつ、ということになる。だからなおさら、その再婚相手が自分のことを「お父さん」と呼んでくれたときに、祖父がどんな気持ちになったかは、察するに余りある。彼女は「お父さん」と呼びながら、一緒に暮らそうとまで言ってくれたのだった。だから、祖父はこの後すぐに死んでしまうけれども、最後の最後に夢のような出来事があったわけだ。いや、彼の目には、今は亡き娘が彼女の姿を借りて、自分を呼んでくれているようにさえ見えたかもしれない。
こうして、祖父にとっては、死出の旅立ちの準備が整った。
一方、春にとっては、これから一人で生きていく準備も整ったはずだ。これまで途切れていた親戚たちとのつながりが(祖父の最後の旅のおかげで)回復し、自分を苦しめ続けてきた父母の関係に対しても、新しい視点を獲得することができた。死んだ母と、死んだ祖父が遺してくれたものを引き継ぎながら、これから春はいい花を咲かせるんだろうな、と思わせる結末だった。