帰国するクラーク博士が別れ際に教え子たちへ言ったという"Boys, be ambitious"には知られざる続きがあった、と番組で紹介されていた。
私がその続きを聞いたのは、数年前に島松駅逓所を訪れたときだった。札幌を立ったクラークは、その日、千歳を目指していたという。札幌と千歳の中間点は島松沢。見送りに来た学生たちは、そこで引き返すことになった。そのときにクラークが別れの言葉を残したという。駅逓所で案内の仕事をしているご老人によると、その言葉とはBoys, be ambitious like this old manだったという。
番組でもその通り紹介されていたのだが、"this old man"とはクラーク自身を指している、としていたのには疑問が残った。
たぶん、それは中山久蔵のことを指していたのではないだろうか。
齢四十を過ぎた中山が島松村(恵庭市)に入植し、その後、本格的な稲作に成功したのが明治六年、クラークが来日する三年前のことだった。人生半ばを過ぎて全く新しい土地にやってきて、不可能であると考えられていたことを成功させて一旗揚げた中山は、実にambitiousな男としてクラークの目には映ったはずだ。
そして、帰国するクラークは、中山久蔵宅(現駅逓所)で食事をしたあと、あの言葉を発したのである。
だとすれば、クラークは農学校の学生たちに、中山久蔵を農業人として手本とせよ、という意味を込めて、Boys, be ambitious like this old manと言った、と解釈するのが自然なように思うのだが。
そう持ち上げられた中山が、クラークの英語を理解したかどうかは歴史の闇に埋もれたままでも良いのだが、"this old man"が中山である可能性が埋もれてしまっては、恵庭小学校に通った私としては残念で仕方ないのデス。
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追記:11月2日
もっと詳しくクラークと中山久蔵について書いているページを見つけました。"this old man"は中山久蔵であるかもしれないと述べられています。
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追記:11月2日
もっと詳しくクラークと中山久蔵について書いているページを見つけました。"this old man"は中山久蔵であるかもしれないと述べられています。